【新改訳改訂第3版】
「Ⅱコリ2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。」
ここでは、多くの人が神の言葉に混ぜ物をして教えている事が書かれていますが。御言葉を曲げたり、御言葉に混ぜ物をして真理をぼかしてしまったり、自分の生活に合う様に解釈を変えたりして教えている偽教師が多くの教会にいると御言葉は言っています。言い換えると、御言葉を真理を曲げないで教えている教会は、少ないと言う事です。また、ここで注目しなければならないのは、「御言葉に混ぜ物をして売っている」と言う事です。売るということは、お金が目的です。この御言葉から思い浮かぶのは、カトリック教会がお金の為に売り出した免罪符がそのものです。罪をお金で赦してもらうという考え方です。教会経営のため、信者を集めるために御言葉に混ぜ物をして真理をぼかして、「そのくらいは赦されるとか神様は、優しい方だから大丈夫です。」と言って真理を教えず広い門を造ってしまいます。今の時代のキリスト教の教会がまさにこの御言葉の状態ではないでしょうか?「神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。」とは、神の言葉を自分の生活に合わせて曲げて教えるような事をせず、真心を持って神の御前で聖く正しい心でキリストの教えによって、語るのですと聖書は教えています。神の御言葉は、私達の道であり真理です。道を曲げてはいけません。なぜなら、この道の先には幸せがあるからです。聖書の御言葉は、神様が私達を幸せに導くために、書かれた神様からのラブレターです。神の御言葉を自分の生活に合わせて、曲げてはいけません。むしろ、自分の生活を神の御言葉に合わせて、真っ直ぐにしなければなりません。それが、幸せへの近道だからですと聖書は教えています。
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