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阿部陽二

今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【聖書箇所】

「Ⅰヨハ3:9 だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。

3:10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。」

先週の続き

ヨハネのは、神の子供と悪魔の子供のとの区別の仕方を教えています。義を行う者と義を行わない者を見分ける事が神の子と悪魔の子を見分けるための実であると言っています。義を行う者、義人を辞書で調べると「堅く正義を守る人で、わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」の事ですと書かれていますが、聖書的に言うと前に神の教えに従いと入ります。「神の教えに従い、堅く正義を守る人で、神の教えに従い、わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」の事ですとなります。神の儀を行う者が、義人であり、敬虔なクリスチャンといえます。逆に、この世の価値観で正義と言いながら、怒ったり、争ったり、傷つけたり、人を攻撃したり、殺したり、するのであれば結果的に、神の教えに従っていません。このような行為は、神の儀を実現していないのです。神の教えに従う者とは神の儀を行う者の事で義人の事です。

聖書には、義人について人類の始めの人アダムの息子で長男カインと次男アベルのささげ物の事について書かれています。「そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。」と書かれていますが、義人とは、いけにえによって証明される物のようです。次に、「神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。」とある様に、神が良いささげ物だと認めて下さって初めて義人と認められるのです。ちなみに、この出来事は、モーセがまだ律法を神からいただく前の出来事なので、律法とは関係ありません。あくまでも神と人間との関係を表しています。では私達も神に義人と認めてもらうために、最高の羊の初子を神に捧げましょう。と言う事には成りませんね。旧約聖書の時代、律法の命令に従ってイスラエルの民も沢山の羊の初子を神に捧げました。しかし、そのささげ物によって、義と認められた人は誰もいませんでした。

では、新約聖書の御言葉に従う私達はどのようにすれば義人と認められるのでしょうか?

義人とは神の義を行う者の事で、その神の義が福音の内に掲示されています。その義は、信仰に始まり、信仰に進ませ、信仰によって生きる者が義人だと聖書は教えています。

10節の最後に、兄弟を愛する者と兄弟を愛さない者も神の子と悪魔の子を見分けるための実ですと教えています。

兄弟を愛する事が神の子と悪魔の子を見分ける実であるとは、兄弟を愛する者は、神を愛する者で兄弟を愛する者は、キリストの命令を守る者です。

この様に、兄弟を愛する者とは、神のを愛し、神に従う神の子だからです。

私達が罪を犯さない様になる為には、悪魔からイエス様に、守っていただく事が唯一の方法です。その為には、新約聖書の御言葉に従って歩む事、イエス・キリストに従って歩む事こそが、イエス様に、守っていただき、悪魔の罠や誘惑やあらゆる悪だくみから守られる唯一の方法です。また、ヨハネは、神の子供と悪魔の子供のとの区別の仕方を教えています。義を行う者と義を行わない者を見分ける事が神の子と悪魔の子を見分けるための実であると言っています。

また、兄弟を愛する事が神の子と悪魔の子を見分ける実であるとも言っています。兄弟を愛する者は、神を愛する者で兄弟を愛する者は、キリストの命令を守る者です。この様に、兄弟を愛する者とは、神を愛し、神に従う神の子だと言う事を学びました。

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