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阿部陽二

今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【聖書箇所】

「Ⅲヨハ 1:9 私は教会に対して少しばかり書き送ったのですが、彼らの中でかしらになりたがっているデオテレペスが、私たちの言うことを聞き入れません。

1:10 それで、私が行ったら、彼のしている行為を取り上げるつもりです。彼は意地悪いことばで私たちをののしり、それでもあきたらずに、自分が兄弟たちを受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人々の邪魔をし、教会から追い出しているのです。

1:11 愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です。」

この教会は、どこの教会かは解っていません。ガイオと言う正しい人物が所属する教会へ宛てた手紙です。この教会では、教会のかしらになりたがっている人物デオテレぺスがいて、使徒たちの教えに聞き従わない者だと言う事です。この事を、今の時代の私達に当てはめると、使徒であるキリストの弟子たちが新約聖書を通して教えている事に従わない事と同じ状態です。御言葉は、次のように言っています。 「Ⅰコリ 14:37 自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。」 パウロはここで、「自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は」と言っています。預言者や御霊の人とは、どの様な人の事でしょうか?まず預言者とは、どの様な者かたとえを用いて説明します。

「例話」―今の時代、私達は車で、どこか知らない所に出かける時、目的地を車のナビに入力してナビに従って目的地に進んで行きます。しかし、ナビが壊れていたり、間違っていたとしたらどうでしょうか?また、ナビに逆らって反対方向に進んだとしたらどうでしょうか?いつまで経っても目的地には尽きません。近づくどころか遠く離れてしまうかも知れません。預言者とは、この自動車のナビの様なものです。民や国を良い方向に導き最終的に目的地である神のもとへ導く者として神に召された者の事です。旧約聖書の時代、民や国はこの預言者の言葉を受け入れず、神から遠く離れてしまいました。ちなみに、預言者とは、ヘブライ語で(ナービー)と言います。 現代の新約聖書の時代預言者とは、御霊の賜物の一つである預言を、聖霊によって示され、神の啓示によって、教会の徳を高め、勧めをし、慰める事を、目的として伝える者の事を言っています。次に、御霊の人とは、どの様な人の事でしょうか?御霊の人とは、簡単に言うと神の御霊を内に宿している人の事です。預言者も御霊の人も神の御霊を内に宿している者の事で、神に属する者、神に従っている者、クリスチャンの事です。パウロはここで自分は、預言者、御霊の人、と思う者はと言っていますが、言い換えれば、自分は神に属する者、神に従っている者、私はクリスチャンですと言っている者は、「私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。」と言っています。私があなた方に書く事とは、パウロの手紙であり、パウロ書簡であり、新約聖書の御言葉の事です。キリストの弟子が教える新約聖書の御言葉は、「主の命令である」と言う事です。

ヨハネは、ガイオの所属する教会に行く予定が有り、その時にこの問題を取り上げると言っています。使徒たちの言う事を受け入れないばかりか、使徒たちを受け入れようとする人達を教会から追い出している者がいる事についての問題を解決するためと言う事です。

ヨハネの手紙の教えに従わないの者の事が書かれていますが、まず、意地悪い言葉を使うと言う、意地の悪い人、人をののしる人、人の邪魔をする人、人を排除する人、と言う事がこの御言葉の中から読み取れます。このような人達は、神側の者ではなく悪魔側の者です。なぜなら、その実は悪い物だからです。

神からの者か悪魔からの者かは、その人の行動や言動と言う実で判断する事が大切なことです。こういう人々を避ける様に御言葉は、教えています。

「Ⅱテモ 3:5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」

見えるところは敬虔ですから、騙されやすいのでその実をよく見て判断する事が大切なことです。

ヨハネは、ガイオに対して「悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。」と教えています。善と悪との対比で教えています。ここで言う悪とは、デオテレぺスの言動や行動の事で、悪い実を実らせる人の事で、意地悪い言葉を使う意地の悪い人、人をののしる人、人の邪魔をする人、人を排除する人、このような人は、神から出た者ではなく、神を見た事の無い者です。つまり、悪魔から出た者で、悪魔に属する者だと教えています。次に、ここで言う善とは、キリストの教えであり、使徒たちの教えです。その教えは神の御心であり、祝福へとつながっています。

善を行った者も悪を行った者も世の終わりの時にはよみがえって神の御前で審判を受けます。よみがえって命を受ける者とよみがえってさばきを受ける者に分かられます。善を行った者とは、神から出た者です。

神から出た者は、その人の内に神の真理の御霊を宿しています。

神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。

神から出た者は、善に熱心です。なぜなら、真理の御霊が善を喜ぶからです。

私達は悪を行って御霊を悲しませてはいけません。むしろ、善に熱心になって御霊を喜ばせる信仰生活を歩んで行く事を学びました。

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