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阿部陽二

今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【聖書箇所】

「コロ2:3 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

2:4 私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。

2:5 私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。

2:6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。

2:7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」

「抜粋」

このコロサイの教会に入り込んでいる異端の教えは、救いにあずかる為の「知識」は、一般庶民には隠されていると言う教えでしたが、パウロは、キリストの内に知恵と知識が隠されているのだから、キリストの教えに導かれて歩む事が、間違った教えに惑わされたり、あやまちに導かれたりしない為に必要ですと教えています。

私達クリスチャンはこの世の愚かな者この世の取るに足りない者や見下されている者、無に等しいものとして選ばれたのです。すなわちこの世の知恵や知識のない者の代表者として選ばれました。知恵と知識のない者がイエス・キリストを信じる者として歩む時、キリストが知恵の無い者を知恵のある者のように知識のない者を知識のある者のように上からの知恵と知識をあたえてくださいます。

この世の愚かな者として選ばれた私達も、上からの知恵をいただき純真で、平和、寛容、温順を身につけ、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものとして、生活が出来る様になるのです。

上からの知恵はえこひいきがなく、見せかけのものではない聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、誇り高い生活となって行きます。

5節で言うキリストに対する堅い信仰とはどんな信仰でしょうか?御言葉から見ていきたいと思います。

「コロ1:23 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。」

しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれない信仰とはどういう事でしょうか?すでに聞いた福音の望みとは、永遠いのちの救いの望みの事です。言いかえれば、永遠のいのちの救いの望みからはずれない信仰という事です。と言う事は永遠のいのちの救いからはずれる事が有ると言う事です。聖書では、永遠の命の救いから、はずれる事が有るから望みと言う言葉を使っています。一度信じたら、必ず天国へ行けると考える方もいますが、御言葉は、そうは言っていません。「しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞い永遠のいのちの救いの望みからまた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。」と御言葉は、教えています。

6節ではクリスチャンはキリストにあって歩みなさ、と言っています。

キリストにあって歩むとは、どんな信仰生活でしょうか?

7節にはキリストの中に根ざし、また建てられ、と有ります。

キリストの中に根ざし、また建てられ、キリストにあって歩むとは、キリストの内に留まり、御言葉に留まると言う事です。

私達もイエス様に本当の弟子と言われる様にキリストの内に留まりキリストのことばに留まる信仰生活を送って行きましょう。

私達は本当に罪赦され永遠の命に預かったとするならばキリストと共に十字架上で古い自分はすでに死んでいるのです。もはやキリストと共の生きる者とされたのです。キリストの内に留まりキリストのことばに留まる信仰生活とは生きるもキリスト、死ぬもキリスト、と言うキリスト中心の信仰生活です。

本当の弟子の信仰生活とは、キリストの言葉を私達の内に豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって賛美する事です。キリストと共に十字架上で古い自分はすでに死んでいるのです。もはやキリストと共の生きる者とされたのですと言う事を学びました。

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