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  • 阿部陽二

今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


*【聖書箇所】 

「Ⅰテサ5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。」

【抜粋】

15節前半に「だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ」とありますが、そもそも悪とはどの様なものでしょうか?

悪の定義は善の反対、不道徳なこと、法律に違反すること、と言う事ですが、聖書は、道徳的であり、法律のもととなる律法が、記されています。聖書的には、悪は神の御心である義や善と対立するものであります。悪と対立するのは神の御心であり神であります。神と対立する悪は悪霊であり悪魔サタンです

悪は、悪魔サタン側で、善は、神様側のものです。この考え方で理解すると「悪をもって悪に報いる」としたら、知らないうちに、自分が悪魔側に引き込まれていると言う結果になってしまうと言う事です。

悪を持って悪に報いると言う事は、私達が、悪魔側に行ってしまうと言う事です。私達は、いやな事をされたり、いやな事を言われたり、した時、怒りや、憤りが心に来て、腹を立て怒ります。ごく普通の事ですが聖書では、何と言っているでしょうか?

*「ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」

怒る事は神様が望まない事です、「怒っても仕方がないのです。神のために怒る事は、良い事です。怒っても、日の暮れるまで収まれば良いんです。」とよく耳にしますけれど、けして神様は怒る事を望んでおられません。怒りは神の義とは、反対側のものだからです。怒りは悪魔側のものです。

怒る事、憤る事、腹を立てる事、これらの事は、まさに、悪への道です。そうなのです、この時点で悪魔側の道を選んでいるのです。

終わりの時代になると、惑わす霊と、悪霊の教えは、私達クリスチャンを何処へ導こうとしているのでしょうか?

惑わす霊と、悪霊の教えは、私達クリスチャンを何とか惑わして偽りの教えを信じ込ませて、イエス・キリストを信じる者を悪魔側へと誘い込み、信仰から、離れさせようといつも狙っています。

今の時代信仰に堅く立つことが出来る様に、神のすべての武具を身に付けることが大切ですと聖書は教えています。

信仰に堅く立つために、腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはき、信仰の大盾を取り、救いのかぶとをかぶり、御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい、これら神のすべての武具をとりまさいと、聖書は言っています。武具とは何の為に使いますか?神様はなぜ武具をとりなさいと言っているのでしょうか?それは、悪魔、悪霊と戦う為です。私達が、惑わす霊の誘惑やだましに惑わされたり、巧妙な悪霊の教えに騙されないで勝利する事が出来る様に、神様が私達の為に備えて下さいました。私達は、神様が私達の為に備えて下さった全ての神の武具を身に着けて悪に勝利する一日一日としていきましょう。

15節後半には、「お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。」

とありますが、ここでは、善について考えてみたいと思います。

善の定義は悪の反対です、イエス様は絶対的な意味で神のみが善であると断言しています。神以外には、完全なる善は存在しません、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うと言う事は、互いの間で神の御心を行いまた、すべての人に対して神の御心を行うと言う事です。神の御心を行うと言うことは、御言葉に従った行いを選択すると言う事です。善を行うと神様が私達に恵みを与えて下さると、聖書は約束しています。

善を行った者は、よみがえっていのちを受けると聖書は言っています。善を行う人とは、神様側に居て神の御言葉にとどまり、御言葉を実行する人です。

また、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。悪を行う人は、悪魔側で神と敵対する人の事です。

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。善を行う事は、神のすべての武具付をける事と同じ位大切な事です。私達はこれからの信仰生活の中で神のすべての武具を身に着けて、熱心に善を行う事が悪魔に勝利出来ると言う事を学びました。

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