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阿部陽二

#今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【聖書箇所】

ヨハ4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」

4:17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。

4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」

4:19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。

4:20 私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」

4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

4:25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」

4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」

【抜粋】

このみ言葉の前のところでサマリアの女が「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」とイエス様を受け入れてイエス様が与える永遠の命につながる水を与えてくださいと願いましたがイエス様は「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言っています。

さて、ここはとても難しいところですがどうしてイエス様は「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われたのでしょうか?

ここでは、永遠の命につながる救いを得るために必要な罪の意識を促すための問いかけです。このサマリアの女には、夫が過去に5人いましたが、今は、婚姻関係にない男と暮らしていると言う事をイエス様は示されました。

全てを言い当てられた彼女は、「先生。あなたは預言者だと思います。」

と告白しています。神が定めた夫婦関係にない事も罪と言う事では、ないでしょうか?

20節では「私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」と言っていますが、当時は北イスラエルでは、ゲジリム山の神殿で礼拝し、南ユダでは、エルサレムの神殿で礼拝していたのでどこに神がおられるかと言う論議によってイスラエル民族の正当性を論じあっていました。

イエス様は彼女に言われました。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」と言っています。何を言っているかと言うとこののち、イエス様が十字架に掛かって下さる事によって聖霊が私達に与えられる日が来ると予言されています。その時には、霊によって礼拝する時が来るので礼拝は山やエルサレムと言う場所ではなく、たとえ小さな部屋でも、真の礼拝者たちが集まり霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。それが神が求めておられる真の礼拝です。

神様が喜ばれる礼拝とはどんな礼拝でしょうか?休まずに毎週日曜日に10時半から賛美をして献金をしてメッセージを聞いて12時頃まで礼拝して帰る事でしょうか?教会ではクリスチャンらしく振舞い教会を出たらこの世と調子を合わせていたとしたら、神はそのような礼拝を喜ばれるでしょうか?喜びませんよね。私達は霊とまことによって神を礼拝しましょう。霊を宿しているまことのクリスチャンとして1週間変わらない信仰を1日1日送っていきましょう。

25節では、「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。」 と言っているように、サマリアの女性は、旧約聖書の時代のユダヤ教のトーラーのメシヤ預言をよく知っていたようですがそれに対してイエス様は「あなたと話しているこのわたしがそれです。」あなたの目の前にいる私がキリストと呼ばれるメシヤですよと言っています。

イスラエルの民は北イスラエルでは、ゲジリム山の神殿で礼拝し、南ユダでは、エルサレムの神殿で礼拝していました。どちらに神はおられたのでしょうか?

イエス様は彼女に言われました。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」と言っています。何を言っているかと言うとこののち、イエス様が十字架に掛かって下さる事によって聖霊が私達イエス・キリストを信じる者に与えられる日が来ると予言されています。その時には、霊によって礼拝する時が来るので礼拝はゲジリム山やエルサレムと言う場所ではなく、真の礼拝者たちが集まり霊とまことによって父を礼拝する場所が神の臨在する場所となるのですと言っています。父はたとえ少人数でも、この様に霊とまことをもって礼拝する人々を礼拝者として求めておられるからです。

神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。それが神が求めておられる真の礼拝です。

救い主イエス・キリストが地上に来られ恵みの時が来ました。

イエス・キリストを神の御子と信じるだけで、すべての罪が赦され永遠の命が与えられ、天の御国に入る事のできる証として聖霊を与えられました。私達の体は聖霊が住まわれる神の宮です。私達は、神を礼拝する時霊と霊の交わりがあります。神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。それが神が求めておられる真の礼拝と言う事を学びました。

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