• 阿部陽二

#今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【聖書箇所】

ガラ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

3:4 あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょうが。

3:5 とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。

3:6 アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。

3:7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。

3:9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

3:10 というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

3:11 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。

3:12 しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。

3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

【抜粋】

ここでパウロは、ガラテヤの人達にあなたがたはどこまで道理がわからないのですか、と言っています。この道理とは、神の前で全ての面で理にかなった正しい人への道の事を言っています。すなわち、神の義に叶った義人への道を言っています。ガラテヤの人達に、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたに、聖霊を与えて下さったのは、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。とパウロはガラテヤの人達に問いかけています。では、私達が義と認めらたのは、律法を行ったからでしょうか?それとも、信仰をもって聞いたからでしょうか?

6節では、アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。アブラハムと同じ様に私達も信じる信仰によって義と認められるのです。ですから、信じる信仰によって義と認められた人々こそアブラハムの子孫なのです。アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げた時すでに、異邦人も信じる信仰によって義と認められる事が約束されていたのです。信仰によって義と認められた人々が信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。聖書にはこう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

律法は呪いが伴う義の強制です。律法のもとにあるすべての人々は、律法の書に書いてある、すべての事を堅く守って実行する事は出来ませんでした。呪いが伴う義の強制で人が救われる事は出来ません。

旧約聖書の時代の二大スターが居ますがモーセとアブラハムですが、モーセと言えば律法、律法と言えば、モーセというイメージを受けます。また、アブラハムと言えば信仰、信仰と言えばアブラハムと言うイメ-ジを受けます。

確かに、律法は、モーセによって、シナイ山で神様から与えられたのです。パウロがここで問題にしている律法とは割礼の事ですが。ユダヤ主義者が来て救われる為には割礼を受けなければならないと言って人々を惑わしていると言う問題が有りました。モーセは、律法の行いによって義と認められて、救われる方法を神に与えられました。アブラハムは信仰によって義と認められ救われました。神に義と認められた、アブラハムは義と認められた時、割礼を受けていたでしょうか?アブラハムは信じて義と認められた時は、まだ割礼を受けていませんでした。そうなのです、信じて義と認められるためには割礼は関係ない事なのです。

11節では、律法は呪いが伴う義の強制の律法で、神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」と聖書は教えています。

と有る様に律法の行いによる義人はいないのです。イエス様は私達をのろわれた律法の契約から贖い出すために十字架に掛り私達の身代わりに呪われた者となって下さいました。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

私達クリスチャンはイエス様の十字架の贖いによって神の前に義と認められました。これは、信じる信仰によってです。私達クリスチャンは、神の前に義と認められていると言う事になっていますが私自身、神の前に全ての面で理にかなった正しい人では、有りません。神の前に全ての面で理にかなった正しい人とは、神がその人の内に罪を認めない人の事です。信仰に入る時私達は、罪を悔い改めイエス様に罪を赦していただき、神の前に義と認めて頂きますが、しかし、その後罪を犯します。この罪によって私達は、義人では、無くなります。なぜなら、私達の内に罪が認められる様になったからです。しかし、神様は、悔い改めによって私達の罪を赦して再び義人としてくださいます。罪を犯さない者となる事が一番いい事ですが人間的には、なかなか難しいと思いますが。神様は、約束の聖霊を与えて、心に義の炎を燃やし義人になりたいと言う願いを聖霊の新生と更新によって日々教えられ、訓練されて神様の願うものへと変えられて行く事を学びました。。

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