【祈りのお願い】
先週の私の友人Sさんが労災に緊急入院しました。彼は、糖尿病と白血病で入院しています。今は、輸血と抗がん剤治療をしています。昨日病院に面会に行きました。抗がん剤治療の後でとても辛そうでしたがイエス・キリストの救いの話を聞いてくれてました。2時間位交わり、福音を伝えて、イエス・キリストを信じる決心をして心で信じて口で告白しました。
どうぞ、糖尿病と白血病が癒される様にお祈りよろしくお願いいたします。
【聖書箇所】
ロマ10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われると聖書は教えています。これは、信仰告白ですが、私達が心で信じるとは、「主イエス・キリストが私達の罪のために十字架で死なれ、黄泉に下り死と戦い死に勝利し、三日目に蘇えり、天に昇り今も天で生きておられる事」を心で信じる事です。そして、この信じた事を公に口で告白すると救われると言う事です。
こんな話が有ります。教会では、結婚する時はクリスチャンとクリスチャンとが結婚することが望ましいと教えられています。ある姉に未信者の彼氏が出来て、二人は結婚を考えていました。教会では、クリスチャンとクリスチャンとが結婚することが望ましいので、彼に、教会全体で伝道します。彼は色々な人から伝道され、「結婚するならイエスキリストを神の御子と信じ受け入れ、信仰告白をしてクリスチャンになって、結婚する様に」と進められます。彼は彼女が大好きで、結婚したいおもいでいっぱいでした。多くの人から伝道され話を聞いて、結婚出来るなら、信じてもいいかなと言う思いになり、信仰告白へと導かれていきます。
信仰告白をする時は、本当に心で信じているかが重要です。教会の人達が良い人達だから、私を傷つけない人たちだから、この人達の中にいたら安心だから、この人達の仲間になろうと言う思いから信仰告白をしたとしても教会に対する信仰であって主イエス・キリストに対する信仰とは言えません。心で御子イエスキリストを信じていないからです。こう言う信徒はとても多く、のちに、救いの確信を持てない事に悩む事になってしまいます。
11節に「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」とある様に、イエス・キリストに信頼する私達クリスチャンは失望する事がないのです。イエス・キリストは私達の希望の光です。
イエス・キリストを信じる者は、誰もやみの中にとどまる事は有りません。
また、主は恵み深く、憐れみ深く、公平な方ですから、何の差別もなくただ信じる者に、永遠のいのちを与えられます。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。」そして、彼に信頼する者は、失望させられることがないのです。しかし、教会には、失望している人がたくさんいるのが現状です。失望して教会から離れる人がたくさんいます。
キリストの救いを宣べ伝える事をしないでどうして救われる人が起こされるでしょうか。キリストの救いを宣べ伝える事は、良い事を伝える事です。
「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
私達は心の中に嬉しい事や良い事、悲しい事や辛い事が有る時、だれかに聞いてもらいたいものです。特に嬉しい事や良い事はだれにでも話したくてしょうがなくなります。誰かを捕まえて、「ねえ、ねえ、聞いてよ、このあいださ、こんな良い事が有ったんだよ」と言い、
また他の誰かを捕まえて、「ねえ、ねえ、聞いてよ、このないださ、こんな良い事が有ったんだよ」とみんなに心の中の良い事を知ってもらいたくなります。では3億円の宝くじが当たったとしたらどうでしょうか?私は宝くじをかいませんので、宝くじに当たる事が良いことかどうかは別として、一般的な話をします。多くの人は、宝くじに当たると、大喜びします。その人にとってとっても良い事が有ったのです。すぐにでも。知人、友人に宝くじに当たった、と話したくてしようが有りません。しかし、誰かに話すと、お金を貸してほしい人や、寄付を求める人、お金を騙し取ろうとする人、お金を目当てに、いろんな人が近寄ってきます。結局、引っ越しをして、だれも知らない所へ行く人が多い様です。最近では宝くじに当たってもだれにも言わないで、秘密にする人がほとんどだそうです。せっかく心の中に嬉しい事や、良い事が有ってもだれかに伝えられなければ本当の喜びには成りません。
御言葉は喜びを共にする事によって喜びを2倍にし、悲しみを共にする事によって悲しみを半分にすると言う事を聖書は教えています。この聖書の素晴らしい関係が出来るのがキリストを信じる信仰の兄姉の関係です。今日はキリストの救いの喜びを心に持っている私達がだれかに喜びを伝える事が出来る喜びをもう一度確認して行きたいと思います。
宝くじの喜びとは違い、私達の持っている共に喜びあえる喜びは伝える喜びを伴っています。
私達も良い知らせを隣人から、聞いて、心に信じて義と認められ、口で告白して救われました。そして、今、私達の心の中には喜びが有ります。喜びはだれかに伝えたいものです。私達の喜びを誰かに伝え、その人の心にも私達と同じ喜びが与えられたら喜びは2倍になります。私達の喜びは、キリストの救いの喜びです。この喜びを伝える事はなんと素晴らしい事でしょうか。キリストの救いの喜びを伝える事は、自分の心の喜びを誰かに伝えて喜びを二倍にする事です。やがて、その喜びは30倍、60倍、100倍の実となって帰ってきます。良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。キリストの救いの喜びを伝える事は、立派な事です。私はこの事を恥とはしません。とパウロも言っています。私達の心の中のキリストにある喜びを誰かに伝える事は私達の喜びである事を学びました。