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  • 阿部陽二

#今週のメッセージを通して神様が教えて下さった事無題のブログ記事


【祈りありがとうございます。】

私の友人Sさんのお祈りありがとうございます。今は、抗がん剤治療の間の一時退院しています。

引き続き白血病と糖尿病が癒される様においのりください。

【聖書箇所】

エペ2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、

2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──

2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

2:7 それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。

【抜粋】

1節にあなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者と有りますが私達は元々は自分の罪過と罪のために死んでいた者と言う事です。これは、原罪を意味します。原罪とは人間の行為によらない、生まれながらに持って生まれてきた罪の事を言います。神様が人間を創造された時それを見て「よし」とされました。元々人間は創造された時は、罪を持っていませんでした。しかし、アダムが神様に背き罪を犯した事によりすべての人間に罪が入り、すべての人間は罪を持って生まれて来る定めと成りました。この事によって人間は罪をもってこの世に誕生し、この世に属する者とされます。罪をもった者には永遠の死が定められ生まれた時から地獄へと向かっています。これが原罪です。

人は自分の罪のために地獄へ落とされる運命にあります。しかし、イエス様は私のことを信じなければあなたがたは自分の罪の中で死ぬのですと言っています。言い換えれば、イエス様を信じる事で死をまのがれる事が出来ると言う事です。

罪から来る報酬は死です。人は罪を持ったまま永遠の死をまのがれる事は出来ません。イエス様の十字架の贖いによって、罪赦されて永遠の命へと移されるのです。

2節にはそのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。とありますが

この世の流れに従い、とはこの世と調子を合せていたと言う事です。また、

空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊とは悪魔サタンの事です

かつては、私達は、サタンの支配下にあってこの世と調子を合わせて罪を犯し続けていたと言う事です。この様な者は死を招き滅び去るのです。

3節には 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

不従順の子らとは神に従わず神に背を向けた者の事を指します。肉の欲とは持って生まれた罪の性質から出て来る思いの事です。生まれながらの御怒りとは原罪による神の怒りの事です。自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行っている者は神に対して反抗する者です。

4節のしかし、とは生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかしこんな私達をあわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛によって罪過の中に死んでいたこの私たちが救われたのはただキリストの十字架の贖いによる恵みによるのです。その恵みはキリストとともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせていただけると言う驚くばかりの恵みが用意されている事は私達クリスチャンにとって最大の恵みです。神の愛による救いは、これほどまでに私達を愛してやまない神の愛によるものです。

みなさんはもし救われていなかったらどんな人間になっていたでしょうか?どんな生活をしていたでしょうか?私は救われていないとしたら、自分勝手で、自己中心、自分さえ良ければそれで良いという感じです。生活は毎日不満を抱え口から不満の言葉しか出ない生活をしていたかもしれません。しかし、救われた今は、今までの生活を悔い改め180度方向転換して、神に背を向けていた自分から神に従うものと変えられました。この世のサタンの支配下から神様の支配の中へと移されました。いまは神と共に歩む生活の中に溢れるばかりの恵みを感じながら生活しています。かといってお金持ちになった訳でも、財産が増えた訳でもありません。生活自体は前と変わりませんが心の中が変わりました。心が豊かになったと言う表現が良いでしょうか。人に対する考え方、見方、接し方、言葉使い、全ての基準がこの世の基準から、神の基準へと変わりました。神の基準とは聖書の基準です。御言葉を土台に置いた毎日の生活は心を豊かにします。

神が世を愛しその一人子を世に生け贄として遣わされイエス・キリストの十字架の贖い、信じる信仰による救いが、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つこと、またキリストの権威が私達に与えられる事これらの事が神様が私達神に背いていた者に対する神の愛の示し方です。また、これらの事は神様からの一方的な愛です。

救いの恵みは神の大きな愛によるものでした私達が何か良い事をしたからでは有りません、ただ恵みによるのです。私達の恵みはこの救いの恵みで十分にある事を学びました。

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