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  • 執筆者の写真キリスト教会 | 家の教会シャロームチャーチ釧路

「神の宮として」今週神様が御言葉を通して教えて下さった事

「Ⅱコリ 3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」

新しい契約に仕える者は御霊に仕える者です。御霊に仕える者とは、自分の内に聖霊が宿っています。新しい契約では自分の体が神の聖所であり、神の幕屋であり、神の宮なのです。新しい聖所には隔ての垂れ幕もなく、律法の文字が書かれた石の板も存在しません。イエス様は十字架の贖いによって神様との隔ての垂れ幕を完全に取り除いて下さいました。それによって私達はいつでもどこでも、御霊なる聖霊を通して、神様と交わることが出来る様になりました。また、律法の文字が書かれた石の板の代わりに、聖霊の示しによってキリストの律法が私達の心に書き示されました。聖書には


「聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。」

と書かれています。

聖書には、古い契約と新しい契約2つの契約があります。古い契約を旧約と呼び新しい契約を新約と言います。初めの契約とは、旧約の事です。旧約とはモーセがシナイ山で神と結んだシナイ契約の事です。神の文字による十の言葉を石の板に刻んだ律法を中心に、宗教的、祭儀的、戒律を含む神との契約です。この契約の中に、礼拝の規定と地上の聖所の規定が含まれていました。このシナイ契約は、イスラエルの民の反逆によって破られ、祝福ではなく、呪いをもたらす結果となりました。シナイ契約、それ自体は救いを完結する事は出来ませんでしたが、新しい契約の土台として、また、罪の自覚をもたらすためには有益でありました。

前の幕屋とは、初めの契約の時に存在した幕屋の事で、神と私達を隔てていた聖所の垂れ幕を示します。まことの聖所とは、聖霊を宿した神の宮であるクリスチャン自身の事です。前の幕屋はキリストの十字架の御業によって真っ二つに引き裂かれ、完全に崩れ去りました。イエス様の十字架の御業によって、神の御霊を宿したクリスチャンは、前の幕屋が取り除かれて、いつでもどこでも御霊なる聖霊を通して、神と交わる事が出来る事の恵みを学びました。

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